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高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第4回>

2020年10月30日

10月16日(金)5・6時間目、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で明治学院大学社会学部社会学科教授の加藤秀一先生が「教養原論」の講義をしてくださいました。

「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、「社会学で考える他者-性と人種による「人間の分類」を批判的に考察する」と題して講義が行われました。生徒たちは「人間の分類」について考えることで、それぞれが差別や偏見と向き合い、今後の行動を考えるきっかけになったようです。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 人間は、人々の動作や肉体的な性質そのものに意味はないのに、性別や肌の色などで人間を分類し、「社会的規範」を生み出しているということに気がつかされた。この分類によって、差別や偏見が生まれ、苦しんでいる人々がいることを忘れてはならない。同時に、これらの社会的規範を作りだしている私たち自身が、規範を変えていく行動を起こす必要があると感じた。
  • 私たちは、気づかないうちに偏見や差別を行ってしまっている。その中に、男女における役割の違いがある。男は働いて、女は家事をするものという固定観念は、今も少なからず残っている。男も女も働く時代だからこそ、これからは男か女かに関わらず、どちらも平等に仕事や育児をこなしていくべきだと考える。
  • 性差別の問題はニュースでも取り上げられる内容で、性差別がなくなる社会を願う人も多い。ではLGBTにマイナスな意見を持っている人の問題に対する考えをどのように変えていくのか。すべて私たちが作ってしまった社会規範によって生まれたことである。お互いを思いやれるそんな社会を作っていきたい。
  • 物事において意見を出す時、少数派・多数派と分類するのはやめるべきだと考える。なぜなら、どちらの意見も尊重されるべきであり、一方が多数派だからといって、他方の意見を通さないというのは不公平だと感じるからだ。昨年度、ソーシャル・チェンジというプログラムに取り組んだ。そのプログラムの時には、誰の意見も否定しないことが原則なので、普段よりも自由に物事について考えた。物事において絶対的な答えがあるものというのはそれほど多くないだろう。どんなに小さな意見であっても、消すことなく大切に残すべきだと感じる。
  • 人間は常に分類をしたがり、無意識に分類をしてしまうことがある。しかし、この問題をしっかりと前向きに捉え、自分がその立場であったらどう思うのかを常に考えるべきだと強く感じた。
  • 自分の価値観が相手と同じとは限らない。常識だと思っても文化が違えば相手にとって常識ではないかもしれない。例えば、韓国は整形技術が発展していて、整形大国とも言われ、社会的にも整形が肯定されているようだが、同じく高い技術を持っている日本は整形に対して否定的な持つ人の方が多い。なぜなのか、価値観の違いを韓国と比較しながら考えたいと思った。今回の講義から、いろいろな切り口から問題を考えられる社会学はとても興味深いと思った。
  • 「他者」を「性別」の視点から捉える内容がとても印象に残った。性別は身体の作りで決めるのか、性自認で決めるのか。そもそも性別を男か女ではっきりと分けることにどのような意味があるのか。とても難しい内容だったが、これからの変わりゆく時代を生きていく上でとても大切な事だと思った。自分とは違う人達のことを「他者」として偏見や差別意識をもってしまう人間の心理について学び、もう一度自分と他者について考え直すとても良い機会になった。
  • 「意味」は「動作」そのものではなく、それを包む文化のような「社会的文脈」、より正確には「規範」からやってくる。また、この「規範」がないと社会が成り立たない。しかし、その「規範」が時には差別となることもある。今後、私たち自身で規範を変えていくことで社会を変えていけばよい。
  • 性差別、人種差別について考えた。無意識の悪意のない発言が他者を傷つけている可能性があると考えた。差別の歴史は学校で学ぶ機会もあり、酷いことは知識としてあるが、何度説明されても慣れない残酷さを感じた。人間が差別や偏見を作ったのだから、正すための努力をしていかないといけない。
  • 授業で出てきた中で実際に体験したのは手招きだった。海外では「こっちにおいで」の意味には伝わらず、発した言葉との意味の違いに相手が戸惑っていた。差異性を理解するのは大事だと改めて思った。
  • 今回の講義を聞いて、社会に根付いている人間が作った性役割の枠組みによって、好きだったものを手放したという悔しさが湧いた。性役割の概念が強くなければ、大切なものを捨てずにすんだ人たちは多くいるだろう。好きなものを堂々と言えることが当たり前の世界になるために、男女の間にある「性役割」の概念は無くしたほうがいいと考える。
  • 個人や集団の関係を明らかにするためには行為や言葉の意味を理解することが大切だ。同じ動作をしていても国や地域によってその意味は異なるため、やはり世界の歴史や文化の知識を蓄えておくことが大切だと思った。また、動作には意味があるが人間の肉体そのものについては意味や優劣は本来存在しない。だから人種などで括る必要はなく、一人一人性格は違うのは当然であると改めて考えることが出来た。
  • 異なった考え方や捉え方によって差別の問題などが起きてしまっているため、言葉や動作に対する意識を考えさせられた。私たちが勝手に分類して意味づけをして、差別や規範を生み出してしまっている。普通という考えは勝手に社会が押し付けているもので、偏見から生まれてしまうものであるので、私たちが規範を変えていけば分類がなくなる社会になっていくだろう。
  • 他者に対しての偏見は私達が作り出し、その分類による社会を形成している。そのため逆に言えば、その偏見の基準を私達が変えていけば、良い社会的規範が定着すると考える。生物的に男・女に区別されるが、現代ではその役割が最優先ではなくあくまでも1つの手段でしかないと考えるなど、価値観の多様化が増加している傾向にあるからだ。

 

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