高校
明治学院大学の先生による高校3年生への講義「教養原論」を行いました<第7回>
11月14日(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 心理学部 心理学科 野村信威教授による「教養原論」の講義が行われました。『心理学・教育発達学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。
生徒の意見・感想を紹介します。
- 私は心理学部を希望しているので今日の授業はとても楽しみだった。話を聞いていると、心理学は二つの事象の強さを相関係数を用いて数値化し、値が大きいほど関連が強いということを聞いて、統計で人の心を表すことが、多いことを知った。また、ナラティブ語りでは、語る行為と語られた物語を指しており、他人がどう考えているかは分からなくても自分の考えなら表現でき、ナラティブとして表現されるレベルで利用可能であることが分かった。ここから、数値化と語りどちらが有効であるかを考えた時に、語りの方が良いと感じた。なぜなら、語りでは自分の感情の赴くままに話せることができ、数値化だけでは分からないことがたくさんあると思ったからだ。少し難しい問題で合っているか分からないが、答えがわからない問題こそ自分の考え方が広がるチャンスだと思うので大学での授業も視野を広げて取り組んでいきたい。
- わたしは語りをする方が有効であると思います。数値化することで現状客観的に理解するためには役立つ方法だと思います。整理したり比較したりするのにも効率的だからです。しかし、事実は一つであっても、答えは一つではなく、人によって物事の捉え方は異なっていると思います。例えば、いじめで考えたとき、被害を受けた側からすれば、その経験は深刻で、心に大きな傷を残す「いじめ」として考えると思います。しかし、加害している側の人間は、必ずしも自分がいじめているという自覚があるというわけではないと思います。「ただふざけていただけ」「いじっていただけ」という軽い気持ちの可能性もあると思うからです。このように人によって受け止め方も異なり、考え方も異なってきます。嘘をつくことができるデメリットもありますが、人がその時どう感じたか、語ることが大事だと思いました。
わたしは自分がやりたい臨床心理学のみを心理だと考えてしまっている部分があるのだと気付かされました。統計学など今まで触れてこなかった部分まで知ることができてとても良い学びを得ました。今後はもっと広い分野に興味を持ち、自分で可能性をひろげていきたいとおもいました。 - 他者を理解するのに必要なのは数値か語りかという問いに対して私は、語りが必要だと考える。確かに数値を知ることができれば具体的に他者についてどれだけ理解しているか知ることができる。しかし、語りを用いて他者について理解することができれば、何をどのように思っているのか具体的な他者の心情を詳しく理解することができる為、語りの方が必要である。