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高3アカデミックリテラシーで「教養原論」を行いました〈第2回〉

10月6日(金)、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で、明治学院大学国際学部国際学科の戸谷浩先生が「教養原論」の講義をしてくださいました。
高3O組は学級閉鎖中のため、オンラインで参加しました。

今回は、「国際学からみた『他者』」と題しパレスチナなどを隔てる“壁”についてグループワークを行いました。他者は自己の鏡であり、自分自身が何者か確定することが、他者を作っていることを学びました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 色々考えさせられる内容だった。今まで漠然と考えていたものが大学生になると詰めて細かく自分の考えを持って行動してかなければならないと感じた。他者を考えるというのは自分の考えを反映していくことと一緒であったのは今まで考えたこともなかった。
  • 壁の向こうとこちらの違いという物を考えるといったことが今までなかったので新鮮な思考時間でした。過去にはベルリンの壁といった同じ国で同じ民族なのに他国からの介入で、分け隔てられてしまったこともあります。壁というのはそれだけで情報の遮断、向こう側からの拒絶を強く受ける物なので冷たい印象があります。こういった冷たい拒絶をなくすために違いという物を理解することは必要不可欠なのだと思いました。
  • 壁による違いには言語、宗教、政策、法律、通貨、人種、民族、支援国など様々な違いがあることに気づいた。これらの情報をインターネットで得て終わりにするのではなく、自分の立場や出身国などを理解して、それらの情報と共に考えることが大切だということだった。世界には国だけでなく市民などの狭い中でも壁が生じていることがあるのでそれらにも対応できるようになりたい。
  • 今回の授業もとても興味深い内容でした。自己を確立するには他者を評価する上で成り立つ、ということがよく理解できました。また、壁とは、意識しないとなかなか思いつかなくて、教授のおっしゃる通り、こちら側と向こう側の差異を可視化することで、壁が生じてしまうのだと感じました。そして、特に「他者とは自分の鏡」という言葉が心に残りました。
  • 日本にも壁はあるし、どの国にも壁はあるのではないかと思いました。けれど、講義で出てきた6つの壁との違いはその壁は必要なものであるということです。国と国とは国境で隔てられます。そうすることで自分はその国の人間であるという意識を得ます。もちろん、それが争いにつながることはあるし、お互いの国への誤解を生じさせることだってあるでしょう。しかし、その壁がなくなると誰もがフラットな関係になって誰が身内かわからなくなり、逆に孤独になるのではないかと思います。だからこそ、ある程度の違いというものは必要なものです。違いを維持、許容したままそれでも他者とお互いに折り合いをつけて生きていくことはきちんとお互いを理解しないとできないことです。どちらかになりきることや拒絶することは楽ですが、解決にはなりません。本当の和解は遠回りにこそあるのだろうと思いました。