高校
明治学院大学の先生による高校3年生への講義「教養原論」を行いました<第11回>
6月26(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 文学部英文学科 古村 敏明先生による「教養原論」の講義が行われました。『人文学からみた「他者」アメリカ文学の「他者」』というテーマでお話しいただきました。
生徒の意見・感想を紹介します。
- 古村先生のお話を聞いて、多いほうを取るかどうかの問題はとても難しいと改めて感じた。前からトロッコ問題について問われたときに、多くの人数が助かったほうがいいと即答していたが、今回のケア倫理を聞いて考えが変わった。少数のほうに自分の家族、大事な人が含まれていたら、人数よりそっちを選んでしまうだろうなと思った。そう考えると、道徳観念は単純な問題ではなく、より難しい存在であると感じた。人間には「人を殺してはいけない」といったような信念があり、どちらかを取ったらどちらかを捨てることになってしまう。それはCognitive Dissonanceのストレスというものがあると知ることができた。ウィリアム=スタッフォードさんの詩を聞いて、かわいそうだと思ったが、多くのリスクをなくすためなら仕方ないのかなと思った。もし自分が同じような立場に立ったら、すぐに決断することは難しいと思う。自分は物を失うことが嫌いだが、失って学ぶこともあるのだなと思った。
- 文学とは人間の生活のすべてであり、わかることと分からないことを総合的に見ていく学問だということがわかり、必ずしも正解があるわけではないことがわかった。私たち人間には道徳的思想があり、ためらいや葛藤がある中でどのように向き合うことができるかが今後人生の様々な経験を通して重要になってくることがわかった。しかのお話のように自分がもし決断に迫られた時は、そこで自分のことだけを優先して決断を避けるのではなく、自分ごととして考え動物であろうと人間であろうと命を尊重して、自分の決断に責任を持つことが大切だとわかった。
- 100ドルを拾ってしばらくたち、ポケットを見てなくなった時と、元々100ドルを拾わなかった時を比べた時の不快感について人は例え➕➖がゼロだったとしても失ったことに対して「同じ額を得る喜び」よりも、「同じ額を失う苦痛」のほうを約2倍程度強く感じるという傾向があるということに関して実体験を元に本当にそうだなと思った。自分は学校の点数でたとえ難しい問題が取れていたとしても出来なかった問題、ケアレスミスで落とした問題に対して(失った点数)より苦痛を感じるなと思った。失う。という技術を身につけることは難しいことではない。たとえ破滅と思われるようなことでも。人生において果てしない喪失感に直面したとしてもこのマインドを持って生きていきたい。