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高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第3回>

10月14日(金)、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で、明治学院大学心理学部教育発達学科教授の中村敦雄先生が対面で「教養原論」の講義をしてくださいました。

「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、「俳句を楽しむ-言葉を楽しむ小学校を増やすには-」と題して講義が行われました。生徒たちは、俳句のことばをもとに、自分の考えを「そうぞう(想像・創造)」して広げることで俳句を味わいました。次に、俳句の一部を変えることによる俳句の変化と楽しさを知り、その上で取り合わせを考えました。考えたことを同級生と共有することで、俳句、そして言葉の楽しさ、面白さを知ることにもつながったようです。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 同じ俳句に対して自分とは真逆のイメージや、到底思いつかないような魅力的なイメージを発見している人もいて、意見交換がとても楽しく感じました。また、他の人が作った俳句を読むということを通して他者を理解するというアプローチの仕方を知り、それぞれの分野から他者理解への様々なアプローチの仕方があり、とても面白いと思いました。
  • 俳句について自分なりの理解を共有し、楽しかったです。五、七、五の中でどれか1つの句が変わるだけで全く意味も思い浮かべる情景も違ってくるのが面白かったです。俳句は事実を報告しているだけではなくて、フィクションやファンタジー、ドラマチックな世界を作り出していると知ることができました。なんでもアリだと思って作ったら効果的だなと思いました。
  • 高校では、論説文や昔の言葉遣いの難しい教材ばかりで、言葉そのものを楽しむことができていなかった。今日久しぶりに俳句を作ってみたり、元々ある俳句からイメージを広げてみたりして、他の人とは考え方・感じ方がちがっていることがわかり、言葉は面白いものだと思った。友達と一緒に意見を出し合ってより良い俳句になったのも楽しかった。小さい頃にこういう経験を通して想像力や発想を豊かにすることはとても大切なことだと思う。
  • 小学生の時に魅力もよくわからず、ただ暗記したり作ったりしていた俳句が視点を変えればとても面白いものになるのだとわかり、とても楽しかったです。575のどこかを変えるだけで俳句の印象が全く変わり、そのような楽しみ方もあるのかと驚いたと同時に、庶民の文化である俳句は自分でも十分味わえるのだと親近感が湧きました。言葉遊びを楽しみたいと思いました。
  • イメージを膨らませながら俳句を作る経験はこれまで無く、とても新鮮でした。「取り合わせ」という方法で俳句を作ることにより、全く考えていなかった内容の俳句を作ることができ、遊びとして親しむことができるようになると思いました。
  • 小学生の頃から俳句や短歌に対して苦手意識がありました。今回の授業で、たった五文字を変えてみるだけでこんなにも見えて来る風景や色合い、登場人物の表情や心境までも変わるのかと思い驚かされ、面白いなと思いました。友達と意見を交換すると、一つの俳句に対して全くちがう感想を持っていたので、俳句がどうして現代まで受け継がれてきたのか、その楽しさを実感することができました。
  • 教育発達学科というと先生としての振る舞いや生徒・保護者への対応など、学校としての学びが多いのだろうというイメージを勝手に抱いていた。古文を親しむ若者が減っているという現在の教育問題に向き合ったり、一度学習した内容を学び直して理解を深めたりといった、実践的で社会的な学びにも取り組んでいるという点で面白い学科だと感じた。
  • 言葉というのはとても不思議なもので、1つの単語を変えるだけで、その場面の情景や時代も変わることに魅力を感じた。これからは文字や音の表面的な部分を捉えるだけでなく、もっと奥深い意味を感じることでイメージを膨らませる力をつけたいと感じた。
  • 俳句を通して日本の伝統的な言葉文化について学ぶことができて、普段は何気なく使っている言葉の深い魅力を理解することができました。俳句は小学生のときに作ったが、そのときに何気なく選んでいた季語にこんなにも重要な意味が含まれ、様々な情景が思い出されたりイメージが大きく変わったりすることを知って、改めて俳句の魅力を感じられました。言葉にはその時その時によって相手への伝わり方が異なったり楽しみ方が変わったりするので面白いなと思いました。
  • 教育をつくるということの難しさを改めて感じました。特に俳句の学習において、親しみを持ってもらうために朗読を行う授業体系に変更したのに、それだけではイメージの膨らみが失われてしまうことを危惧した意見があったのが驚きでした。また授業の中で「言葉を楽しむ」という言葉が印象的でした。
  • どうすれば小学校四年生が俳句に親しみを持ち、楽しむことが出来るのかを実際に授業を通じて体験することが出来た。中高生になるにつれて勉強することの目的が定期試験で良い点数を取ることになってしまっていたので、学ぶことは楽しいことだということを改めて再発見できて良かった。普段せわしない中で日常にありふれている「言葉」を楽しむことをつい忘れてしまいがちなので、今回の講義を通じて大切にしていきたいと強く感じた。
  • 俳句や言語の文化は、言葉をどのように並べてどう結びつけたら、相手に伝わりやすくなるのかということを考えることが大切なのだということがわかりました。俳句を読んだり作ったりしたことによって、言葉ひとつで想像力がかなり広がるということを体感できたので、これからも言葉の繋がりを楽しみたい。
  • 既存の俳句作品をただ鑑賞するだけでなく、自分なりに解釈をしてみること、そしてそれを他者と共有すること、これらの活動を通じて、文化というものを真に「味わう」ことができた。こうした取り組みの中で、自分の中の知らない自分を知ることができるのだと思った。
  • 私は俳句などを作るのが苦手な小学生だったので今日の授業も不安でしたが、イメージを丁寧に考え、言葉の組み合わせにより面白いものになることを楽しみました。できないことに焦って無理やり言葉をはめ込む子供たちも多いと思うけど、それだと言葉を楽しむという俳句の本質をクリアできないから、リラックスできる環境を作ることが先生の役目だと学びました。その環境を作るためのポイントも学びたいです。
  • 今回、俳句を見てその句がどんな状況か想像することで、自分の想像力がどのくらいかがわかったし、友達と意見交換することで新しい発見もあり面白かった。作者や作られた時代を考えずに俳句を見ると、思っていたより想像が膨らみ、俳句を違った形で味わうことができた。俳句が自分の中にいる他者と出会うきっかけになると知って、俳句の可能性を感じた。
  • ところどころ自分で考え、みんなでシェアする講義により、俳句を楽しむことができ、俳句の価値観が変わりました。海外ではアートとして俳句を楽しんでいることを初めて知りました。
  • 先生は皆の考えを共有していく形で授業を進めて下さったため、多くの発見もありました。アンケートの結果で古典が苦手な生徒が多いことに驚きましたが、それに対して創作活動を交えながら授業を行うなどの工夫があることを知りました。また、季語が変わるだけで俳句から感じる情景が一変したことから、自分で創作しイメージを膨らませていくこともとても面白いと感じました。俳句を通じて、自分の中にいる他者と出会うことが大切だと学び、私もこれから古典や俳句を身近に感じていきたいと思います。
  • 日常生活でも、読点の位置、選ぶ言葉、口調などによって言葉の捉えられ方は様々である。5・7・5であらわす俳句は、よりさまざまな理解を生じさせる。俳句は小学生の頃から触れており、身近なようでもあるが、一方で理解が難しく親しむことができてなかった。だからこそ一つの理解だけではない自由な思考を大切にすることは、とても重要であると思う。「言葉と言葉の化学変化」を楽しむ、それは現代を生きる私たちに必要とされていることなのかもしれないと感じた。